出発の朝、新潟の港に薄霧がかかっていた。タンクバッグに収めた地図はすでに折れ目だらけで、それでも行き先はひとつ——日本列島を、自分のバイクで一周すること。Multistrada V4 Sのエンジンを温め、会社を休職し、友人たちに見送られてアクセルを開いた。
最初の一週間は興奮で身体が軽かった。北陸の海岸線、福井の朝市、京都の裏道。見知らぬ土地のライダーと交わす短い会話が、旅の燃料になった。「どこまで行くの?」「一周する予定です」——その答えに、相手の目が少しだけ輝く瞬間が好きだった。
ゴールは数字ではなく、「ここまで来た」と認める感覚そのものだ。
九州に入った頃、台風の影響で三日間動けなくなった。安い宿で雨音を聞きながら、旅の意味を問い直した。速く走ることではない。出会った人の顔を覚え、景色を身体に染み込ませること——それが自分の一周の定義だと気づいた。
北海道の終盤、強風で前に進まない日があった。それでもアクセルを開き続けたのは、オーナーコミュニティの仲間から届くメッセージのおかげだ。「無理しないで」「景色を楽しんで」。画面の向こうの声が、孤独なライドを連帯に変えてくれた。
約半年後、出発した同じ港に戻った。身体は引き締まり、心は広くなっていた。この記事は記録ではなく、同じ道を夢見ている誰かへの手紙だ。あなたも、いつか一周できる。まずは近所の峠からでいい。
カテゴリー: ライダーストーリー